一橋大学商学部卒。MBA (IMEDE) Ph.D. (ケース・ウェスタン・リザーブ大学)。
ボストンコンサルティンググループを経て'86年CDIの設立に参画。'97 年までの11年間CDIに在籍し、パートナーを最後に学位取得のため退職。学位取得後、ハイドリック&ストラグルズ社にパートナーとして入社、CEOレベルのヘッドハンティングに取り組む。'02年9月に東京大学に大学院薬学系研究科教員として着任。'04年5月より現職。
26歳の時にその設立に参画したCDIは、私の人生に最も大きな影響を今でも与え続けている「学びの場」であり、多様な個性を持った極めて優秀な同僚達との刺激的なやりとりを通して問題解決を図る「創造の場」でもあります。約12年間のCDIでのコンサルタント経験は、CDI退職後も職業人として新たな仕事に取り組む際の私の自信の源泉となっています。
経営の現場に横たわる「事実」、すなわち"市場・顧客"、"競争"、"自社(組織能力)"に係る「事実」を客観的に分析評価することの難しさ、その基本認識を自社内(経営トップから現場の末端にいたるまで)で共有することの難しさを学びました。同時に、その共有化のためには経営トップのリーダーシップが必要であり、経営トップの謙虚な姿勢と従業員に対する信頼なしには全社一丸となった経営改革と創造的な問題解決はあり得ないことを学びました。
私は現在、大学発ベンチャー・学生発ベンチャーを育成・支援するという(従来の大学にはなかった)新たなチャレンジを通して大学改革に取り組んでいます。この仕事の中で様々な判断が求められますが、その判断の良し悪しの拠り所にCDIでの原体験がいつも横たわっていると考えています。CDIはコンサルティングに限らずプロフェッショナルを目指す人材の骨格と筋肉を形成する「学びの場」です。チャレンジ精神旺盛な多くの皆さんとCDIという「場」を共有したいと願っています。
東京大学法学部卒。司法試験合格。MBA (スタンフォード大学)。
ボストンコンサルティンググループを経て'86年CDIの設立に参画。'03 年までの18年間CDIに在籍し、代表取締役社長を最後にCDIを退職。03年4月に株式会社産業再生機構代表取締役専務 業務執行最高責任者(COO)に就任。'06年4月郵政民営化委員会委員就任。'06年12月資産債務改革の実行等に関する専門調査会委員就任。'07年3月株式会社産業再生機構解散。'07年4月長期・持続的な事業・企業価値の向上を目指し、経営支援サービスを提供する株式会社経営共創基盤を設立。
現代企業の経営に求められているもの、それは国内外を問わず、マネジメントリアリズムである。現実の競争に現実に勝ち抜くために、企業は、経営者は、ミドルは、現場はいかにあるべきか。コンサルティングファームの付加価値も、そこに実際にいかに貢献できたかが全てである。現実経営者の立場からは、もはや舶来のフレームワークやら、先進事例とやらを捏ねくりまわす知的な経営ごっこに用はない。
CDIのコンサルティングと人づくりは、このマネジメントリアリズムにおいて、他の追随を許さない最前線を走り続けている。それは創業以来の組織の DNAであり、日本の地で独立創業した、自分自身の現実経営に日々直面している組織ならではのものだと思う。事業再生という経営的なリアリズムの極致の世界で、産業再生機構がそれなりの成果を上げることができたのも、CDIに源流を発するプロフェッショナリズムのDNAが、組織の深層的な遺伝子の大きな構成要素になっていたからである。
コンサルティングの世界で何かを究めようという若者はもちろん、リアルマネジメントの世界で職業経営陣として活躍したいと思っている人ならなおさら、CDIというフィールドに身をおいてプロフェッショナルとしての足腰を徹底的に鍛えることをお薦めする。
東京大学法学部卒。MBA (ダートマス大学)。Ph.D. (テキサスA&M大学)。
'86年~'96年の10年間CDIに在籍(うち2年はMBA留学)。'96 年に退職し再渡米。'00年にPh.D.を取得し現在に至る。学部、MBA、博士課程で経営戦略の授業を担当。近著に『戦略の原点』(日経BP社)、『その前提が間違いです』(講談社)などがある。
私がCDIに入社したのは、会社ができて2カ月ほどの1986年4月1日です。外資系コンサルティング会社や新聞社の内定を断ってわざわざできたばかりのCDIに飛び込んだのは、「俺にできないことはない」といった、神をも怖れない「自信」があったからではないかと思います。
それから20年余りが過ぎ、CDIのことをちょっと思い出すと、楽しかったことばかりが浮かびます。しかし、よく考えてみると、私がいた10年のうちの 95%ぐらいは、悔しかったり、恥ずかしかった経験です。「連戦連敗」といっても過言ではなかったでしょう。何も分からなかった最初の1年くらいはともかく、そのあとの何年間は「自信」が2つに折られ、4つに砕かれ、粉々になる毎日でした。
今考えてみれば、20年前に持っていた「自信」とは、テストの点だとか、大学のブランドといった、実はあまり根拠のない不純物を多く含んで出来上がっていたものでした。粉々になったところから、自分というものに向き合い、よりわけ、純粋な「自信」を作り直そうともがいたのが最後の2、3年だったのかなと思います。こうした経験が、幼稚園児と乳飲み子を抱えて再び学生に戻るという決心の支えとなり、「先生」と呼ばれる立場になってもいい気になってはいけないという戒めの元になっているのだと思います。
私がいたころと比べて随分有名になってはいますが、ブランドだとかノウハウだとかを求める方にはCDIをすすめません。「自信」が、砕かれたときに飛び散ってしまいそうな方も避けたほうが賢明でしょう。自分をどこまでも信じることができ(そうで)、更に上のステップを目指す方は、考えてみたらいいかもしれません。ある時は地獄の底までついていってもいいと思うくらい優しく、またある時は地獄に突き落としてやりたいと思うくらい冷たい先輩達が、いろいろと手助けをしてくれるのではないでしょうか。
慶應義塾大学経済学部卒。MBA (カリフォルニア大学バークレー校)。アンダーセンコンサルティング(現アクセンチュア)を経て'91年にCDIに参画。'05年までの14年間CDIに在籍し、パートナーを最後に退職。
私の場合、他コンサルティング会社からビジネススクール留学を経てCDIに入社し、現在の「経営者応援ファンド」を立ち上げるまでに、14年間CDIに在籍していたことになります。入社したとき最初に感じたことは、CDI流コンサルティングのクリエイティブさ。他のコンサルティングファームではテーマも絞られ方法論も確立されていたために、粛々と作業をこなしていけば誰がやってもある程度のアウトプットが出てくるというスタイルでした。CDIが扱うテーマは広範かつ難易度が高く、何度も事実分析~仮説構築~検証というサイクルを回転させることが必要。求められることはZero Based Thinkingに基づく創造的な解でした。
思考のクリエイティビティや緻密さを叩き込まれた一方で、CDIは常に「会社は人なり」ということを意識したコンサルティングを行っています。会社をよりよく変えていくには事実やデータに基づく独創的な解ももちろん重要ですが、会社の中にいる人間や感情といったものを十分理解して改革を進めていく推進力が大事だということも大いに教わったと感じています。人間は感情の動物であり、会社はそんな人間達の集まりであるということ、会社という有機体を変革に向けて少しでも動かしていくことがコンサルタントのもうひとつの付加価値であるということを学んだと思います。
CDIは「自立した個の集合体」を目指していると思います。キャリアの一ステップとしてコンサルタントを考えるのではなく、思考のたくましさや力強さを身に付けたい人、論理と感情を理解してビジネスマンとして自立した人生を送りたい人は是非CDIの門を叩いてみてはどうでしょう?
早稲田大学法学部卒。'89~'96年の7年間CDIに在籍。'96年フォーバル・インターナショナル・テレコミュニケーションズ株式会社(現 株式会社フォーバルテレコム)入社。'07年6月より現職。
CDI設立4期目の新人として学卒入社して以来7年間に渡り、様々な企業をクライアントとして数多くのプロジェクトに参画する機会を持つことができました。若くて柔軟な時期に、とことん仕事をする風土の中で個性豊かなCDIスタッフの面々と共に、クライアント企業の迫力ある経営幹部の方々と相対して凝縮した時間を過ごせたことは、仕事への取り組みスタンスを固める意味で大変に有意義なことでした。
CDIを離れてから12年を経て事業会社の経営者になってみると、あらゆる領域での迅速な意思決定を求められる繰り返しです。得手不得手を云々している余裕などありません。思い込みや受け売りを極力廃し、全体を俯瞰して下した自分自身の判断を会社の最終意思決定として社内外に伝達して実行するしかありません。全社戦略から新規事業開発、営業・財務・人事等々、多岐にわたるCDIでのプロジェクト経験が、現在の職務におけるベースとなっていることを日々実感しています。
CDIという場でビジネスマンとしての第一歩を踏み出すことは、ハイレベルな社内外の人達に揉まれて鍛錬されることを通して将来への可能性を広めてくれる質の高い刺激的な経験になると思います。是非ともじっくりと腰を落ち着けて、とことん仕事に没頭して多くのことを吸収して下さい。経営者になるための質の高いトレーニングの場としても価値ある時間を過ごせると思います。