<私が考える、経営コンサルティングとは?>
コンサルタントの価値とは何か?
コンサルタントの価値=経営陣の相談相手となって、悩みに寄り添うことである。知識や経験は重要ではあるものの、あくまで説得するための手段でしかない。
極端に言えば、知識とは、経験豊富なクライアントと相対するにあたって、自信を付ける手段であって、価値ではない。
足腰として、知識や経験を積むことは重要ではあるが、コンサルタントである自分自身が「何を」「どう」伝えるか?伝えられる存在になるか?が重要である。コンサルタントの価値は、知識ではなく、知恵を与えることであろう。もっというと自分自身が価値である。
では、知恵とはなにか?違和感を伝えることであると考える。これまでの固定概念に左右されず、第三者として、クライアントの中では芽生えなかった「変なこと」を言ってあげることに尽きる。
そう考えると、世の流れとしてコンサルティングという仕事が、知識をソリューション化して切り売りする事業に舵を切っていることは違和感を抱く。
しかしながら、知恵を与える存在になることは難しい。コンサルティングファームとして社員にしてあげられることは、限定的である(情報収集/分析の仕方、アウトプットの作り方など)。価値あるコンサルタントになるには、自身で悩み、考え抜くことを積み重ねる研鑽でしかない。とするとCDIとしてできることは、育てるということではなく、育つ土壌を与えることでしかない。
コンサルタントに「育ててもらいたい」人は、この仕事に向いていないだろう。
では、経営陣の悩みに寄り添うとは?
支配されない存在であるということが重要であろう。
クライアントとの関係が「顧客」になった瞬間、仕事をもらう側になってしまう。売上が足りないから営業に行く、御用聞きになる、仕事をもらいに行く。これは立ち位置が変わってしまう。気を付けたとしても、無意識的に、相手が言ってほしいことをいう接待コンサルタントになるだろう。
極端に言えば、売上は結果指標でしかなく、目的指標ではない。売上を求めた瞬間に、支配された存在になってしまうと思っている。誤解されないようにせねばならないが、「仕事を頂ける」取引関係ではなく、「悩んでいるなら、共に悩もう」という対等な関係を目指したいと思っている。時には経営者を怒らせるようなことも、必要なのであれば、臆することなく伝える存在でなければならない。
これは顧客基盤の定義も変わってくる。CDIで目指す顧客基盤は、帯となる売上をくれる企業ではない。「悩んだときに頭の片隅に、CDIが、属するコンサルタントの名前が思い浮かぶ」ファンとなる企業を積み上げることでありたい。だが、それらの企業は常に悩みがあり続けるわけでもない故に、この顧客基盤下では業績は不安定にならざるを得ない経営であろう。不安定を楽しめとは言えないが、不安定であることを受け入れる、「そういうものだ」と諦めることが重要だと思う。
そういった存在になるためには何が必要か?
支配されずに自由であることが重要であろう。履き違えてはならないのは、ここでいう自由とは、「好きなことをやれる」ということではない。
仕事のやり方が任されて、ゼロベースで、自分の頭で考え、悩み、価値を出すにはどうしたらいいのか?を考え抜ける機会を得られるということ。あるいは、自分たちの責任の下で必要だと思うことに覚悟をもって投資できるということ。これを自由という。
一見すると理想郷のように見えるが、実際にやろうとすると簡単なようで難しい。ひとつひとつのプロジェクトに対して非効率覚悟で逃げることなく、結構な時間を投じて向き合わねばならない。暗中模索な中でも自分たちで経営をするしかない。
経営のやり方/プロジェクトの進め方は、恥ずかしながら、近代化されていないし、ムダも多くストレスも多い。が、自由を失うことの方が怖いと思っている。
<私が考える、CDIという場の理解と、学生に伝えたいこと>
コンサルタントの職業に就きたいなら、CDIは勧めない。
・知識が身につくか?
・安定した業績下で、キャリアが積めるか?
・強固なブランド、経営/組織体制で守られるか?
こういったことが頭に過る常識人であれば、明らかに他ファームの方が向いている。
唯一、CDIを勧められるのは、『コンサルタントは仕事ではなく、生き方なのだ(コンサルタントとしての人生を歩む)』と思える人に対してであろう。
この一点だけ限れば、CDIでなければならないと思っている。
・会社のブランドが弱く、派手な/自慢できることが少なくても、自分自身を価値とするべく、何を伝えるべきか?を考えられる
・非効率なプロジェクトの進め方でも、悩みに向き合う機会を求められる
・拙い経営であっても、見えない支配から解放されていたい
こう考える歌舞伎人なら、向いているだろう。
日々を思い返すと、辛い。大変である。。他社と比較すると凹むこともある。しかしながら、虚栄であっても、自分たちの不安定さを受け入れ、自由であることを渇望する人にとっては、得難い経験を得られる、研鑽を詰める場であると思う。
時代と逆行した古臭い考え方なのは自覚しているが、職人としてのコンサルタントを育む最後の場であると思っている。決して良いことばかりではないが、唯一であると思っている。