Corporate Direction, Inc.
CDI RECRUIT
採用メッセージ:米倉淳一郎
私達の「仕事」とは

まずもって「仕事」とはなにか。

  • 仕事とは、誰かに対して何かしらの価値を提供する営みといえる。仕事には為手と受け手の2者が存在するし、対価が発生する以上、為す事が誰かに評価されていないと、仕事としては成立しない。
  • 仕事には個々人にとっては「食べていくためにしなければならないこと」という側面も持つ。とはいえ、その側面が持つニュアンスには「仕事をする」という言葉よりは「働く」という言葉のほうがしっくり来る気がする。要するに、仕事そのものの価値に対する重心の多寡と主体性の有無が、「働く」人になるのか、「仕事をする」人になるのかを分けるのではないか。
  • また、仕事の対象となる「誰か」は、特定の「誰か」であるだけで良いのかという論点もある。特殊詐欺の受け子は報酬を受けている点で「働いている」ことには間違いないが、その価値の受け手が、社会を良くしていくためにさらに良い仕事を連鎖させていくイメージは湧かない。結局、「仕事」という概念には、それが提供する「価値」の質の観点において、前提となる一定のクライテリア(拡張性や公共性?)も包含されるように思う。


転じて、CDIとはなにか。

  • CDIは経営戦略コンサルティングの会社ではある。この定義から紐解けば、CDIは「経営者または企業等に対して経営戦略を構築するための手助けをする仕事をする会社」ということになる。
  • とはいえ、CDIにいる人を(自分も含めて)眺めてみると、経営という世界自体に魅了されている人も勿論いるものの、経営というツールを用いて、自身が考えるより良い世の中を作りたい、というモチベーションに駆動されている人も多いように(個人的にはそちらのほうが多いように)思う。
  • 「同床異夢」といえばそうなるのかもしれないが、結局は「経営」という軸を共通に持ちつつ、各自が様々な方向に視点を置き、適宜仲間を募ってその営みを昇華させていくための「場」として、CDIは存在するのではないか。「仕事」の中身が定義された合目的的な集団/装置というよりは、「良き仕事をしたい」という人の集合体というか。「経営戦略」というのも、今の世の中でなにか大きいことを為そうとした際の「必須要件」のようなものとして捉えた方が良い気がする。
  • 米倉個人が考えるCDIの理想の姿は「大学」である。異なる学部が存在し、研究室では一見シナジーが無い好き勝手な研究が散発的に行われている。とはいえ、異なる興味を持つ者同士は触発され切磋琢磨するし、異分野融合によりまったく新規の学問分野が生まれたりもする。その上で、一見バラバラな研究者の集合体たる「大学」も、その学風や価値観によって優秀な学生(=将来の研究者)を引き付けるとともに、大学自身として強烈な個性を発揮する。CDIも、そういう存在であるべきと強く思う。


コンサルティングとはなにか。

  • (上記の話を続けると)大学の本源的な価値は、「新しいことを生み出すこと」である。新しいことを生み出せるのは、面白いことを常に考えている人であり、ひねくれた発想をする人である。数十年前に生み出された標準理論を様々な分野に適用して「こんなことができる」というだけの人は、優れた学者ではない。
  • 経営戦略という概念はかなり陳腐化しているし、普遍性の高いフレームワークは概して何も言っていない。要するに、「経営戦略コンサルティング」の「経営戦略」の部分をことさら強調する意味も最早無いと思う。そうすると、我々の営みは「経営者あるいは何かを生み出そうとしている人の対話相手になる」ことである・・・くらいの表現しかできないようにも思える。
  • 押さえておくべきは、拠って立つものが内実は空虚な経営理論というものしかない、という点の裏返し、すなわち本質的に「創造的かつ自由な営みである」という部分なのだと思う。要するに、往々にしてタフなお題を毎度毎度肝脳を振り絞って考えることでしか成し遂げられない営みこそがコンサルティングであるという点。もちろんどこかの先進事例等が発想の種になることはあるとも思うが、そういう知識を売りさばき、武器商人のような振る舞いをする事がコンサルティングの本質ではないはずである。
  • ここまで書いてきて、コンサルティングを「◯◯ではない」という話法で表現することは簡単だが、「◯◯である」という表現で端的に伝えることは極めて難しいとも感じている。だが、事の本質はコンサルティングとは何か、という要素分解というよりは、矜持のようなものに宿るのだろうと思う。そして、コンサルティングの手法が(CDIの内部を見ても)各人で大きく異なることを踏まえると、この矜持自体でしか、コンサルティングというものを理解可能なレベルでの説明はし得ないのではないかとも思う。その矜持なるものをここで分解することは避けたい(直接コンサルタントに問うてほしい)が、その個別の内容やバリエーションを通して、コンサルティングとは何か、漠然とでも感じ取ってもらえるものと思う。


学生に伝えたいこと

  • 「働く」ということと「仕事をする」ということは違う。何かしらの「仕事」を自分が主導して行いたいと思う人になってほしい。自分の内向きな課題意識ではなく、社会に対する外向きの課題意識と自らの仕事が結びつくと、人生は本当に面白いものになると思う。
  • 確固たる「自己」を持っている人、その上で、(コンサルティングの先に)自分がやりたいことの方向性が漠然とでも見えている(または、そうありたいと強く願う)人には、CDIの門を叩いてほしいと思う。その方向性に対してCDIが力になれるかどうかは断言できないが、少なくとも、幾つかの選択肢と前例を提示できる筈だ。
  • 逆に言えば、そういうものを持つ人でも無い限り、CDIを強く勧める材料は乏しい。コンサルタントとしての基礎スキルの訓練過程は、どのファームでも大差ない(前述の通り、本当に重要なのはスキルではなく矜持の部分だと思っているが)。コンサルタントになれば将来的な選択肢が広がるという言説は真ではあると思うが、その視点に立った際に、CDIをことさら選ぶ道理も無い。我々の仕事は本質的には「自分の責任で考え抜く」ことである。物事を判断するモノサシを他者に求めず、自律的に作っていける人でないと、この仕事は本質的に楽しめないと思う。